幸せになる勇気 読了

最近の出来事・感想

幸せになる勇気読み終わりました。
嫌われる勇気の続編ということで
期待値が高かったにもかかわらず
楽しめる内容でした。

叱ってはいけない、褒めてもいけない

ぼくは小2の息子がいますが、相手を傷つけるような行為、言動をしたとき、命の危険に関わるような行動をしたとき以外は叱る必要はないと思っていました。

ただ、思ってはいても難しいです。
朝学校へ行く準備をせずにゴロゴロしていたら
早く準備しなさいと言ってしまいます。
相手のことを考えてないようなものいいをすれば
ついつい叱ってしまいます。
自発的にできるようにならないと意味がないとは分かってはいるんですが、
分かってはいてもなかなか実行できないものですよね。

本書は相手を傷つけるような行為、言動をしたとき、命の危険に関わるような行動をしたときでさえも叱ってはいけないと書かれています。
なぜならこどもたちは自分たちの行為、行動をとった結果相手が傷つくということが分からないし、自分の行動が命の危険にさらされているということを知らないからです。
だから叱る必要があることなんて何もなく
ただ教えてあげればよいと書かれています。

確かにこどもたちは純粋なのですごくストレートなものいいをしますし、
生き物の生死についても理解できていないとおもいます。
ぼくも小さいころアリの巣に水を流し込むなんてことはよくやっていました。

威圧的な態度で叱ることで一時的に言うことを聞かせることは簡単だし、その場はそれで解決できるかもしれませんが、将来的にそれではお互い何も意味がないので息子が納得できるまで話し合いたいと思います。

もうひとつはほめてもいけないと本書では書かれています。
これは褒められることを目的にいいことをするようになると
褒められなくなるとそれをやめてしまうからだそうです。
さらには注目を集めるために今度はよくないことを
始めてしまうこもいるそうです。

さらに褒めるというのは自分より下の立場の人へすることなので
上下関係ではなく対等な関係を築くのが望ましいということでした。

教師は生徒を尊敬し、交友関係を結ぶ

これは叱ってもいけないし、褒めてもいけない場合、教師は生徒にどういう態度で接すればよいのかという話題から提示された本書の結論です。

教師は生徒が最終的に自立することをゴールにしているので、
叱ることも褒めることも自立からは遠ざかってしまいます。
だからまず教師は生徒を尊敬し、生徒から尊敬されることを目指す。
さらに交友関係を結ぶとよいということでした。
交友関係というのは相手目線でちゃんと相手のことを考えれるということです。

確かに学生のころ好きだった先生は
生徒を一個人として接してくれていた気がします。

自立とは「自己中心性からの脱却」

これは愛をテーマに書かれていたんですが、
愛とは一人ではできないもので、
相手がいて初めて成立するものだと書かれています。

自分だけが幸せでもいけないし、あなたを幸せにするために自分をないがしろにしてもダメ。お互いに相手のことを尊敬できる関係を築くこと、わたし目線ではなくわたしたち目線で考えれるようになって初めて自立できたといえるということでした。

これはこどもに対しても同じで、 こどもに無償の愛を捧げるだけではこどもが自立できなくなるから、こどもを尊敬する。こどもから尊敬される関係を築くことが大事だと思いました。

ぼくはまだわたしたち目線よりわたし目線でものを考えることが多いので自立できていないですね。
最近、情報発信していてまずgiveしようと言ってる人やしてる人をよくみかけるのですが、最初はなんか胡散臭いなぁと思っていましたが、マーケティングの一環でやっているにしても必要な人に必要な情報が届いていれば問題ないわけなので、そういう人達はわたしたち目線でものを考えられているんだろうなーと思いました。

ぼくも何となく副収入が欲しいなと思って始めたブログですが、
結局有益な情報を発信していかないと利益には繋がらないので
頑張っていきたいと思います(。-∀-。)

最良の別れに向けた不断の努力をする

人は分かれるために出会う。
人は必ず死というものを避けられない以上、
わたしたちにできることは、最良の別れに向けて不断の努力を傾けること。それだけです。と本書には書かれています。

これを読んで思い出したのは、ぼくが高校生3年生の時、じいちゃんが亡くなった時にすごく後悔したことです。
毎年正月にはじいちゃんの家に集まっていたのですが、高校3年生の時だけは親から「今年は受験だからこないでいいよ。勉強してな。」と言われ行くのをやめました。そしてその数日後にじいちゃんは亡くなってしまいました。正月会った時も元気そうだったということだったので、前兆等があったわけではないのですが、たった1日勉強しなかったからどうこうなるわけでもないのに受験勉強のために会いに行かない選択をした自分にとても後悔しました。

じいちゃんは70歳を超えていたので全く予期していなかったわけではないですが、死というものは突然訪れるものなので、自分の死も含めて最良の別れに向けて不断の努力をしていこうと思います。